こんにちは、teruraです。
親という漢字の意味から、親が子にたいしてどうあるべきなのか?ちょっと考えて見ました。
「木」の上に「立」って「見」ると書きます。語源は違うようですが・・・・。[adsense]
ドラマ、コウノドリで綾野剛さんが「親」についての深いい~話がありました。
「ドラマ、コウノドリの名言から見た『親』という漢字の成り立ち」もご覧ください。
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こっちの方が良いんじゃないの、あくまでも個人的な意見ですが!
子育てをする時には、「少し離れた場所から見守ることが必要だ」といった意味なんでしょうか?
調べてみると、語源はちょっと違うようです。
本来は、「立」と「木」ではなくて本当は「辛」と「木」の組み合わせのようです。
しかし、良くできた漢字だと思います!
語源は違っていたとしても。
個人的に、「木の上に立って見る」こちらの方がしっくりきて良いです!
一緒に歩けば危険なことも確かに良く分かりますが?
子供の近くにいて、一緒に歩いていると道のでこぼこもよくわかります。
石につまずきそうになり、危ないなんて手を引くこともできますし、水溜まりがあっても濡れるからと脇を一緒に通ることも出来ます。
しかし、常に親がそばにいて注意をしてもらっていると、子供は失敗のない素晴らしい人生が歩めるのでしょうか?
子供がまだ小さければ仕方ありません。
大きくなってくれば、「可愛い子には旅をさせろ」ではないですが、多少のことは良い経験です!
石につまずき転んでも、水溜まりに足を入れて濡れても、嫌な思いをすれば次にはそうならないよう学び注意をするでしょう!
離れているからこそ見えてくるものがある!
一緒に歩いていると、その子が目指すべき道がきちんと親にもみえなくなってしまいます。
一見すると、綺麗な花畑の中を歩いていて安心していても、ちょっと歩いたら、先は崖になっていて道がない!なんてこともあるかもしれません。
そうならないためにも、少し離れて見守ることも大切です。
一緒に歩かない分、ハラハラドキドキして親子ともども苦労は多いと思いますが、人生の大きな分かれ道が現れた時には、木の上から(客観的な立場から)的確なアドバイスが出来るでしょう。
右の道は暗い林の中を歩いて行くから、危険そうにみえるけど、そこを越えてしまえばしばらくは安全な道のようだよ!って。
高い木の上からなら、子供の人生という道筋が見えることでしょう。
最終的にはやっぱり子供が選ぶんです!
勿論、最終的に道を選ぶのは子供です!
親の人生ではないのですから。
50代にもなると、社会の色々な部分が見えてきて、なかば強引に道を選択させてしまいがちですが、適当な距離感を保ちながら子供自身の責任で歩ませてあげたいです。
決して、突き放すのではなく納得した道を歩んでほしいというのが親の願いではないでしょうか。
そう思うと、「親」という漢字の語源は「木+立+見」でも良いんじゃないですか~!
「叶う」という漢字の意味を考えることは、夢の実現の近道だった! 参考にどうぞ[adsense]
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